「らしさ」の先へ

試合に負けた後、こう考えることはないだろうか。
「今日は自分たちのサッカーができた」
「ボールはずっと握れていた」
「観ていた人は楽しんでくれたと思う」。
どれも嘘じゃない。
実際に、そうだったのかもしれない。
でも、その言葉で終わってしまうことが、一番こわい。
自分たちのスタイルにこだわること。
パスをつなぎ、丁寧にビルドアップし、攻撃的に戦うこと。
そうやって積み上げてきた「自分たちらしさ」は、間違いなく誇っていい財産だと思う。
だからこそ、「らしいサッカーができた」で試合を締めくくった瞬間、そこで思考を止めてはいけない。
なぜ点を取られたのか。
なぜ決定機を決められなかったのか。
相手の何が、自分たちを上回っていたのか。
本来そこにあるはずの問いが、「らしさ」という優しい言葉の中に埋もれてしまうことがある。
負けは、答え合わせの時間をくれる。
その時間を、自分たちを肯定するだけの言葉で終わらせてしまうのは、あまりにももったいない。
「らしさ」にこだわることと、「らしさ」に満足することは、似ているようでまったく違う。
こだわるというのは、理想の形に近づくために、終わりなく磨き続けること。
満足するというのは、そこで手を止めてしまうこと。
同じ「自分たちのサッカーができた」という言葉でも、それが次の課題を探すための出発点なのか、負けた結果を丸く収めるための着地点なのかで、その意味は大きく変わるのだと思う。
そして、「らしさ」を大切にするからこそ、考えたいことがある。
それは、
どうすれば、自分たちらしく勝てるのか。
「らしさ」を存分に出せなかったけれど、勝った。
そんな試合も、もちろんある。
ただ、勝つために自分たちのスタイルを捨て、結果だけを取りにいった勝利は、その瞬間の結果にはなっても、この先の土台にはなりにくいのかもしれない。
大切なのは、勝利のために「らしさ」を捨てることではない。
勝利するために、「らしさ」をもっと強く、もっと深く、もっと相手に通用するものへと磨いていくことだと思う。
「らしさ」を表現することと、勝利にこだわることは、決して別のものではない。
自分たちのスタイルを貫きながら、どうすれば相手を上回れるのか。
どうすれば、最後に勝ち切れるのか。
そこまで突き詰めてこそ、「らしさ」は本当の強さになる。
だからこそ、負けた試合ほど、
丁寧に振り返りたい。
ボールを握れていたのに、なぜ崩しきれなかったのか。
自分たちらしいプレーの中に、決定的に足りなかったピースは何だったのか。
そして、
どうすれば、自分たちらしく勝てるのか。
その問いを持ち続けながら、考え、試し、また磨いていく。
その積み重ねの先にこそ、
本当の意味での「らしさ」があるのかもしれない。
意志あるところに、道は拓く。
