大島颯太

大島颯太です。
僕はこの静岡学園高校で、人生で1番濃い3年間を過ごさせてもらいました。そして、僕の人生で1番の挫折も味わいました。
僕の3年間を、少し長いですが、読んでいただけると幸いです。
僕が静岡学園に決めたのは、中学3年生の夏です。クラブユース選手権の関西大会で、ご縁があり、練習参加させていただきました。
正直、テクニックに自信がなく、下手くそな僕は、静岡学園には向いていないと思っていました。
しかし、練習を体感しその考えが変わりました。「テクニックがあれば、あんなにプレーの幅が広がるんだ。」「あんなにできたらサッカーもっと楽しくなるだろうな。」「うまくなりたい。」そう考えるようになり、静岡学園に進学することを決めました。
そして3月に入寮し、練習が始まりました。Jクラブの下部組織出身の選手や、強豪クラブチーム出身の選手たちがたくさんいて、とてもレベルの高い練習でした。そんなハイレベルな中でやれて、とても楽しく、幸せでした。
1年生の頃は、ルーキーリーグがありました。最初は、試合になかなか絡めず苦しい思いをしました。しかし、折れることなくサッカーに向き合いました。その結果、山梨学院戦でデビューすることができました。その試合は負けてしまいましたが、とても印象に残っています。
2年生、3年生の時は、本当に本当に苦しい時間でした。あまり試合に絡むことができないなかで、周りの同級生たちは活躍していき、取り残されていきました。「自分はもうここまでなんだ。」「もうやめよう。」何度も何度も思いました。
僕の今までのサッカー人生は、大きな努力もすることなく、生まれ持った能力だけでやってきました。しかし、全国レベルの高校に来て、それがいかに甘い行動だったか、すごく感じることになりました。昔から努力してこなかった自分を憎みました。
そんな僕には、昔から変わらない、1番の弱点がありました。
メンタルです。
とにかくメンタルが弱い。それは、家族からもコーチからも言われたことがありました。自分でも感じていました。
何度も直そうと思いましたが、どうして良いかもあまり分からず、ずっと引きずっていました。
その弱さは、3年生の頃に特に出ました。
新チームスタートからAチームに居ましたが、インターハイの県予選で負けた後、Bチームに落ちてしまいました。その頃は、「こっからまた這いあがろう。」というモチベーションでいました。
しかし、そう簡単ではありませんでした。
プリンスリーグには出させてもらい、とても良い経験をさせてもらっていました。
しかし、2年生主体でやっているBチームで、試合に出られなかったり、3年生でそこにいるという情けなさ、そういった気持ちが良い方向に向けば良かったのですが、僕はそこで悪い方向に行ってしまいました。
そして、選手権。その状況の自分に追い討ちをかけるように、メンバー外となり、そこで完全に、僕の気持ちは折れてしまいました。
「もうサッカーやめたい。」母に泣きながら相談しました。笑顔で頑張ってこいと送り出してくれた家族に1番言いたくなかったです。でも母は、「そこまで苦しんだならもう良いよ。よく頑張った。」と迷うことなく承諾してくれました。
ですが、当時Bチームのコーチだった、北川さんはそれを許しませんでした。
「そこで逃げたらだめ。」
寮の仲間達は、みんなたくさん良い声をかけてくれました。「最後までやろうよ。」「もっかい一緒にサッカーしたいわ。」本当に僕の心の支えでした。
北川さん、興龍さんとの話し合いの末、最後までやりきろうと決めました。
今思えば、「本当に最後までやれて良かった。」プリンスリーグ最終節負けてしまいましたが、本当にあの試合を迎えられて良かったと、心から北川さんに感謝しました。興龍さんにも感謝してもしきれないです。
僕は、この3年間で、「家族•仲間のありがたみ」ここを1番感じた気がします。
入寮する前は、家族は居て当たり前の存在で、甘えてばかりでした。入寮してからはそれができなくなり、自分で何もかもしなければならないところで、成長できた気がします。
そして気分が落ちた時、苦しい、辛いことがあった時、そんな時に家族、サッカー部の仲間、地元の友達の声が本当に心の支えになりました。そこで初めて、その存在が当たり前じゃないんだと実感しました。
この3年間の経験は、何にも変えられない、本当にかけがえのないものでした。
家族にたくさん不安や迷惑をかけました。
仲間にも何度も何度も救われました。
本当に感謝しかありません。
これからは、この経験を活かし、誰かの助けになれるような存在になりたいと思います。
これから、大学に進学し、また新しい挑戦が始まります。
辛い、苦しいこともあると思いますが、上を目指し続けようと思います。
感謝の心を忘れずに、頑張ります。
大島颯太
アイリス住吉−静岡学園高校−近畿大学


