自律自走型

「こうしろ」
「ああしろ」
「今の判断は違う」

答えを伝えて、やらせる。
正直、それは簡単です。

指示を出せば、目の前のミスは減る。
試合もある程度は思い通りに進む。
「指導している感」も出ます。

ですがそれは、本当に選手のためなんだろうか。

もしかすると、負けないために、
自分のチームを守るために、
選手を「動かしている」だけじゃないか。

厳しさが必要な場面があるのは、よく分かります。
甘いことばかりでは成長しない。
妥協してはいけない瞬間も、確かにある。

それ自体を否定したいわけではありません。

ただ一度、立ち止まって考えたいんです。
その厳しさは、選手の感情や背景を、
ちゃんと見た上でのものなのか。

それとも、
思い通りに動かない苛立ちを、
「指導」という言葉に置き換えて、
ぶつけているだけなのか。

外から見れば、
声を出し続けている指導者は、
一見「熱心」に見えます。

でも、そのピッチの中で、
選手は何をしているでしょうか。
考えているのか。
それとも、次に飛んでくる指示を、
待っているだけなのか。

答えを与え続けられた選手は、
少しずつ、自分で考えなくなります。

間違えないように。
怒られないように。
正解を外さないように。

そうして身につくのは、
主体性ではなく、依存です。

自律自走型の選手というのは、
放っておいても、勝手に伸びる選手のことではありません。

「なぜそのプレーを選んだのか」
「他に、どんな選択肢があったのか」
「失敗から、何を学んだのか」

こうした問いを、
自分自身に投げ続けられる選手のことだと、
私は思っています。

その力は、指示では育たない。

そして――
選手が伸び悩んでいるとき、
必要なのは、叱責でも、
正解の押し付けでもありません。

うまくいかない理由が分からず、
前に進みたいのに、足が止まっている。
そんな状態の選手に対して、
「考えろ」「自分でやれ」だけを投げても、
心は置き去りになってしまいます。

だからこそ、寄り添うことが必要になる。

答えを教えるのではなく、
一緒に整理する。
絡まった思考をほどき、
心の中に引っかかっている
「つっかえ」を取ってあげる。

選手との対話の中で、
選手自身が、自分の中の答えに気づいていく。

それが、手ほどきだと思っています。

前に立って引っ張るのではなく、
横に立って、視界を少しだけ広げてあげること。

自律自走型の育成とは、
突き放すことではありません。

必要なときに、そっと支え、
また一人で走り出せる状態に、
戻してあげること。

問いを投げる指導は、時間がかかります。
結果も、すぐには出ない。
正直、手間もかかる。

それでも、
選手が自分の頭で考え、
行動し続けるためには、
避けて通れない道だと、
私は思っています。

自律自走型の育成は、
放任でもなければ、
甘やかしでもありません。

「考えろ」と突き放すのではなく、
考える余白を、残すこと。

前に出るべき場面と、
一歩引くべき場面を、
指導者が見極めること。

それが「今」勝たせるための指導ではなく、
「この先」も生き続ける選手を育てることに、
つながっていくのだと、
私は信じています。

指導の現場では、
常に、その問いが突きつけられます。

勝ちか、価値か。

目の前の一勝を取りにいくのか。
それとも、その先の人生まで、
残り続ける力を育てるのか。

もちろん、
どちらか一方を切り捨てたいわけではありません。

ただ、その選択の積み重ねが、
チームの空気をつくり、
選手の「向き合い方」を、
形づくっていくのだと思っています。

決して、
勝利の価値を否定することではありません。

勝った瞬間の喜びは、確かに大きい。
選手にとっても、指導者にとっても、
何ものにも代えがたい時間です。

ただその一方で、
勝利の喜びが刹那的なものであるのに対して、
人を育てるという価値は、
その後の人生に、
長く残り続けていきます。

そんな価値を、積み重ねていける指導者でありたいと、
私は思っています。

指導者は、いつまでも答えを出し続ける存在ではありません。

最後に残るのは、
戦術でも、勝敗でもなく、
選手の中に根づいた
「向き合い方」だけです。

その「向き合い方」に、
日々の指導がどう影響しているのか。

それを指導者自身が、
問い続けていくことなのかもしれません。

意志あるところに、道は拓く。

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