サッカーの「愉しさ」

「楽しい」と「愉しい」
同じ“たのしい”でも、私はこの二つはまったく別のものだと思っています。
楽しいというのは外から与えられるものです。
勝った、褒められた、結果が出た、雰囲気が良かった。
状況や体験によって生まれる、一時的な喜びです。
一方で、愉しいというのは内面からじわっと湧き上がってくる感覚です。
納得できた、自分で工夫できた、成長を感じた。
誰かに与えられなくても続いていく、満足感に近い喜びです。
サッカーにおいてこの違いはとても大きいと思います。
楽しいサッカーは条件が揃わないと成立しません。
勝てなければ、出場できなければ、評価されなければ、
簡単に失われてしまいます。
でも愉しいサッカーは違います。
結果が出ない時でも、うまくいかない時でも、
「考える余地」が残っていれば続いていきます。
なぜなら愉しさは自分の中にあるからです。
どうすれば良くなるか。
何が足りないのか。
次はどんな工夫ができるのか。
そうやって考えること自体がサッカーを続ける一つの理由になっていきます。
私はサッカーがずっと「愉しいもの」であってほしいと思っています。
結果に左右されすぎず、
環境が変わっても、
立場が変わっても、
自分の中で続いていく愉しさ。
それがある選手は簡単にはサッカーを手放しません。
そしてもう一つ。
サッカーは「おもしろい」ものであってほしい。
おもしろいというのは、正解が一つではないということです。
同じ場面でも、選択肢はいくつもある。
だから考える余白が生まれる。
考えるから、試したくなる。
試すから、失敗もする。
失敗するから、また考える。
この循環がある限り、サッカーは愉しいままでいられます。
逆に答えが決められすぎたサッカーは、
一時的には楽しくても、長くは続きません。
言われた通りにやるだけ。
失敗しないことが最優先。
そこには、内側から湧き上がる喜びが育ちにくい。
サッカーを続ける中で「楽しいかどうか」だけを基準にしてしまうと、
苦しい時期に続ける理由を見失ってしまいます。
でも愉しいかどうか。
おもしろいかどうか。
この感覚を持てていれば、
壁にぶつかっても、
また前を向くことができます。
サッカーはずっと楽しくなくていい。
でも、ずっと愉しくあってほしい。
自分で考え、工夫し、
昨日の自分より少し前に進めたと感じられること。
その積み重ねが、
サッカーを「やめられない理由」になります。
結果のためだけのサッカーではなく、
自分の中で続いていくサッカー。
愉しくて、
おもしろい。
そんなサッカーを、
一人でも多くの選手に味わってほしいと思います。
意志あるところに、道は拓く。
