自由は不自由の中にある

「自由なプレースタイル」
「自由自在なドリブルが魅力」
「テクニック集団」
それが当校サッカー部に対して、多くの方が抱くイメージだと思います。
そうした評価をいただけることは、とても光栄なことです。
ですが、その「自由」という言葉を少し勘違いしている人もいるように感じます。
自由とは何でしょうか。
好きな時にドリブルすることですか。
好きな場所へ動くことですか。
自分のやりたいプレーを選ぶことですか。
もしそうなら、それは自由ではありません。
ただの自己中心的なプレーです。
例えば、得意なドリブルで仕掛ける。
それ自体は素晴らしいチャレンジです。
しかし、味方の立ち位置も、相手の状況も、チームの狙いも無視して突っ込むのであれば、それはチャレンジではなく独りよがりです。
自己中と自由は違います。
自由奔放なプレーと、自由自在なプレーも違います。
本当の自由とは、共通の基準がある中で生まれるものです。
仲間と同じ絵を描き、
同じ目的を共有し、
同じ基準で判断する。
その土台があるからこそ、一人ひとりが自分の判断で動ける。
だから私たちは細かな基準を大切にします。
立ち位置にも意味がある。
身体の向きにも意味がある。
タイミングにも意味がある。
一見すると不自由に見えるかもしれません。
しかし、その不自由を積み重ねた先に、本当の自由があります。
制約があるからこそ、創造性は生まれるのです。
全員が好き勝手に動くチームは自由ではありません。
互いを理解し、
互いを活かし、
連動しながら自分らしさを発揮できる集団。
それが私たちの目指すサッカーです。
自由は、不自由の中にある。
だから私たちは基準にこだわる。
自由になるために。
意志あるところに、道は拓く。
