そこに愛はあるんか

サッカーのパスは、
味方にボールが届けばそれでいい、
というものではありません。
確かに、形式上は「通っている」かもしれない。
ミスにもならない。
データ上は成功したパスです。
でも、そのパスは本当に
味方のためのパスだったでしょうか。
足元なのか、スペースなのか。
強さ、回転、バウンドは適切だったのか。
相手との距離や向きはどうだったのか。
味方が次に何をしたいのか、
どんな状態でプレーしているのか。
そこまで考えて初めて、
パスは「つなぐもの」になります。
ただ出すだけのパスは、
責任を転嫁している爆弾ゲームです。
つなぐパスは、
次のプレーを一緒につくろうとする行為です。
その違いは、技術だけではありません。
思いやり、愛です。
自分が楽をするためのパスなのか。
ミスを避けるためのパスなのか。
それとも、味方が前向きにプレーできるように、
一手先を考えたパスなのか。
そこには、はっきりと差が出ます。
次のプレーを想像せずに出されたパスは、
目立たないまま、じわじわと味方の自由を奪っていきます。
サッカーはチームスポーツですが、
パスはその中でも特に、
人間性が出るプレーだと思います。
「ここに出したら、あいつは楽だろうな」
「この強さなら、次につなげるはず」
「今は無理に渡さない方がいいな」
そう考えることは、
戦術以前の話です。
味方を思うこと。
味方を感じること。
その積み重ねが、
プレーの質を変えていきます。
だから私は、
パスには愛が必要だと思っています。
大げさな話ではありません。
技術論でも、精神論でもない。
「自分のプレーで、誰かを活かそうとしているか」
ただそれだけのことです。
パスが雑になるとき、
そこには大抵、焦りや自己都合があります。
逆に、いいパスが続くチームは、
お互いをよく見ています。
見ている、というのは、
位置を見ることだけではありません。
状態を見ること。
気持ちを見ることです。
そこに愛があるかどうかは、
パスを受けた選手が一番よく分かります。
「やりやすいな」
「次が見えるな」
そう感じるパスは、
必ずチームを前に進めます。
パスは、ただの移動手段ではありません。
信頼の受け渡しであり、
意図の共有であり、
チームとして前に進むための合図です。
だからこそ、問い続けたい。
そのパスは、本当に味方のためだったか。
自分の都合だけになっていなかったか。
そこに愛はあるんか。
この問いを持てる選手は、
きっといいパスを出します。
そして、いいチームをつくっていくと思います。
意志あるところに、道は拓く。
