神吉俊之介

神吉俊之介です。
12月14日をもって、伝統ある静岡学園のエンブレムをおろすことになりました。
親元を離れて過ごした3年間は、僕にとってとても劇的なものでした。
僕は小学校3年生のとき、コーチに静岡学園のことを教えてもらいました。そのとき僕は「静岡学園に行く」と決意し、時間があればボールに触る日々を繰り返していました。
静学に入りたいという夢が叶った僕の3年間について、振り返りたいと思います。
1年生
入学早々、Aチームの練習に入りました。
パス、ドリブル、シュート、アイデア、プレススピード――すべてが別次元のレベルで、2年後に自分もこうなれるのかと、ものすごく不安になったのを覚えています。
その後は、平日はBチームで練習に取り組み、週末には1年生のルーキーリーグに出場する日々が続きました。
Bチームにいた僕は、先輩たちからきつい言葉をかけられることもありましたが、それでも自分の可能性を信じ、自身のスタイルを貫き続けました。
2年生
最初の1か月ほどはAチームにいましたが、リーグ戦開幕の頃にはBチームになっていました。それでもプリンスリーグに何とか出場し、インターハイでAチーム入りを目指そうと考えていました。
しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。リーグ戦の開幕数試合は、思うように試合に出場することができませんでした。
サッカーに対してまだ未熟だった僕は、北川コーチと何度も対立を繰り返し、時には練習から外されたり、帰らされたりすることもありました。
それでも、サッカーが好きな気持ちと、何度も熱くぶつかってくれた北川コーチのおかげで、練習への姿勢が改善され、サッカーへの理解も深まりました。
その結果、選手権県予選ではAチーム入りを果たし、決勝戦にはフル出場。夢であった全国の舞台に立つことができました。
3年生
新チームになり、新人戦優勝、ミズノカップ優勝とMVP獲得、JヴィレッジカップでのプレミアEAST勢への快勝など、チームとしても個人としても順調に見えていました。
しかし、プレミアリーグが開幕すると、なかなか勝てない試合が続き、インターハイ県予選敗退、選手権県予選敗退、プレミアリーグ降格と、静岡学園として最悪の結果になってしまいました。
個人としては、プレミア開幕直後から練習への取り組みの態度を指摘され、試合に出場できない期間が続きました。インターハイには出場したものの結果を残せず、夏には再び練習態度を理由にBチームへ降格しました。
そこからサッカーの基本に立ち返り、自分で高いモチベーションを作りながら練習に取り組みました。公式戦に出られない期間が長く続き、とても辛かったですが、静岡に送り出してくれた家族のためにも、最後までやりきると決めました。
その結果、選手権県予選の頃にはAチームに復帰し、最後には静岡選抜にも選出されました。
少し長くなってしまいましたが、僕が最後に伝えたいことは、どれだけ苦しい時期が続いても、自分のことを信じてくれている人、応援してくれている人の存在を忘れず、日々感謝しながら最後までやり抜くことの大切さです。
そして僕の志は、「小事が大事を生む」という言葉です。
日々の練習への姿勢、当たり前の行動、一つ一つの小さな積み重ねが、結果や成長につながることを、静岡学園での3年間を通して学びました。
僕は、静岡学園に青春を捧げることができて、本当に幸せです。
神吉俊之介
アミザージ神野SC−静岡学園高校−法政大学


