提坂日葵

提坂日葵です。
静岡学園での6年間をまとめました。

12月14日で静岡学園サッカー部を引退した。
静岡学園での6年間はとても充実したものだった。

小学生の時に静岡学園への進学を決意しここで6年間文武両道をするということを決めた。その年の高校サッカー選手権で静岡学園が優勝した。それをみてこの舞台に必ず立ちたいと思った。

中学は大きな大会である、全日本中学校体育大会サッカー競技大会では自分のミスから失点したこともあり全国準優勝という悔しい結果に終わった。その後の最後の大会である高円宮杯でも東海大会で敗退となった。高校では全国優勝するという思いがさらに強くなった。

高校に入りルーキーリーグが開幕した。自分より遥かに上手い選手に囲まれ最初は全然試合に絡めなかった。
山梨学院戦でスタメンに選ばれチャンスを掴んだ。その試合でのプレーが評価され、その後は試合に出続けることができた。しかし、全国ルーキーには届かなかった。
Bチームにも帯同させてもらうことができ先輩達のプレーの質の高さそして自分との大きな差を実感した。自分もこのレベル以上のプレーをしなければ全国では通用しないと感じた。

高校2年になりBチームに入った。プリンスリーグでは多くの試合に絡むことができた。この1年間は特に多くのことを学んだ。ギリギリのところで踏ん張れない試合も多く勝ち点を落としてしまうことがあった。
それでもこの経験は自分の成長に繋がるものとなった。新たな発見やチーム戦術などプレイヤーとしても人としても成長できた。

新人戦が始まり自分は全部の試合に出場することができた。自分の長所でもあるキックで多くのチャンスを演出した。結果として優勝でき新チームとしていいスタートをきることができたと思った。

自分が目指していた舞台が始まると楽しみにしていた。
しかし、2月に左膝前十字靭帯断裂、半月板損傷という大怪我をしてしまい3月に手術をした。それはたぶん自分の気の緩みからきてしまったものである。怪我をしなければ自分の思い描いていた舞台に立てていた可能性もある。
自分としても高校サッカーでの心残りかもしれない。
プレミアリーグとインターハイは外からチームのサポートをすることしかできなかった。チームとしてプレミアリーグも勝ち続けることができずインターハイも県大会で敗退してしまった。
チームを変える思いで10月にはフルメニューに復帰することができた。
選手権が始まり、自分はベンチから見守っていた。結果は準決勝で負けてしまった。自分は夢の舞台だった選手権のピッチにはたつことはできなかった。怪我をしてからも選手権には必ずでたいと思いリハビリも全て選手権にあわせてきてやってきたが選手権でプレーするということは叶わなかった。

その後のプレミアリーグでスタメンに選ばれた。全国レベルの選手を相手に通用したこともあったが自分のもの足りなさも感じた。チームの勝利に導くことができずプレミアリーグ降格という結果になってしまい、後輩達にプレミアリーグという舞台を残すことができず静学サッカー部としての責任をはたすことができなかった。後輩達には申し訳ないという気持ちしかでてこなかった。

自分が静学のためにできることは、大学サッカーで活躍しプロになることだ。自分達の代で何も残せなかった分、6年間全てにおいてお世話になった静学にはプロで活躍し恩返しするしかない。

そして静学というものの価値を高めていく。

この6年間静学だからこそ学ぶことができたことが多くある。静学を選んで後悔はひとつもない。この仲間とサッカーができて本当によかった。

「感謝」

これは自分この6年間間で一番感じることが多かった。自分は大怪我して親やチームメイト、コーチ陣、トレーナーの方々をはじめとするたくさんの方々にサポートしていただいた。このサポートがなければ復帰することはできなかった。

このすべての学びこれからに繋がる。プロになり人としても成長しその姿をみせれるようにこれからも行動していく。

6年間ありがとうございました。

提坂日葵
静岡学園中学校-静岡学園高校-明治学院大学

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